秩父織物は、十代崇神天皇の御代に知知夫彦命が国造として秩父に住み、養蚕と機織りの技術を教えたのがその起源と伝えられている。この絹織物は『チチ布』と呼ばれ、当時の服飾生活にとって描くことのできないものであったという。江戸時代になると、秩父織物業は、忍藩の保護政策や江戸に近いこともあって大躍進を遂げた。
明治期に入ると、玉繭糸が輸出向け生糸に適していないことが幸いし、これを加工、工夫し、遂に秩父銘仙が開発された。また、機織りの技術も進み高品質で能率的なものとなり、量産化が推進された。染色技術においても輸入染料による染色革命がもたらされ、このことが契機となってほぐし捺染(なっせん)技法が発明され、その技法を秩父銘仙にも応用し、秩父縞、絣(かすり)、みやまお召といった主要製品が生み出された。2013年12月26日に国の伝統的工芸品に指定され、「秩父銘仙」と名乗れるのは数社のみ。これ以外の旧い銘仙をレトロ銘仙、アンティーク銘仙と呼んでいる。